今、目の前にある絶望

 北国の冷たい風が、なぎさの体から熱を奪う。しかし、なぎさが体を震わせたのは、そのせい
だけではなかった。
 新潟を襲った大震災。凄まじいまでに荒れ狂った自然の力の恐ろしさが、あちこちで爪跡を
残している。ベローネ学院のボランティアメンバーとして現地入りした生徒たちは、誰一人とし
てこの日のことを忘れられないだろう。
 まだ復興のめどすら立たない被災地に、人手の需要は多い。 
 主に力のいる仕事は男子部メンバーの担当だが、この惨状では、女子部もそうとばっかり言
っていられなかった。特になぎさなどは、率先して男子に混じり、彼らと同等の働きを見せてい
た。
 働きっぱなしだったのメンバー全員が、ようやくとれた休憩に、思い思いの場所でへたり込
む。
 午後を過ぎた頃から、徐々に厚くなってきた雲を見上げ、なぎさは重い溜息をついた。
 汗をかいた体に、すでに冬の色を濃く帯びた風は良くない。しかし、それでもなぎさは外で休
憩することにした。先程、わずかに走った微弱な余震にさえ、背筋に霜が降りてしまって、とて
も屋内で休む気にはなれなかった。
「……なぎさ、風邪引くわよ」
 両手に湯気の立つ紙コップを持ったほのかが、なぎさの姿を見つけて近づいてきた。連れ添
うのが当然といった感じで、隣に腰を下ろす。
「はい、熱いコーヒー。向こうで配ってたから」
「サンキュー、ほのか」
 ほのかから手渡されたコーヒーを、二人並んで仲良くすする。冷やされた体に、温かさが染
み込んでいく。
「……さっきの余震、怖かったね」
「うん……でもね、今はもう安心。だって、今はなぎさがそばにいるもん」
「そんな…駄目だよ」
 折れそうなほどの、弱い声。
 ほのかがチラリと視線を横に流して、なぎさの顔に目をやると、まるで今の曇り空のように翳
った表情をしていた。
「アタシなんかいたって……地震が起こったらどうしようもないじゃん。アタシがどんなにがんば
ったって、ほのかを助けられないかもしれない。もうお願いだから、絶対地震来ないで……!」
 最後のほうは感情が高ぶって、もしかしたら泣き声に聞こえたかもしれない。うなだれながら
言葉を吐き出し終えたなぎさが、少し赤くなった目を上げて、ほのかに謝った。
「ごめん…つい…」
 紙コップから立ち昇る湯気が、風に流されていく。風が止むのを待って、再びなぎさが口を開
いた。
「ねえ、ほのか。あのさ……プリズムストーンの力で、何とかしてあげることって、出来ないのか
な? 光の園を修復したときみたいに、あの力で何とか元通りにしてあげられないのかな?」
 答えなど最初から分かっていたが、それでも問わずにはいられなかった。
 熱いコーヒーを持っていても、木枯らしの肌寒さに手が震える。このまま冷たい風に洗われ続
ければ、この身には不安しか残らないかもしれない。
 寒さに打たれているなぎさの手に、ほのかの手の平がそっと重ねられた。凍りついてしまい
そうだったなぎさの心を、優しい温もりが解かす。
「大丈夫だよ、なぎさ。大丈夫……私たち二人だけじゃないんだもの」
 冷えた空気の中、ほのかの暖かな眼差しが、真っ直ぐになぎさの目を見つめてくる。
「義援金だってたくさん送られてくるし、ボランティアの人だって、まだまだ来てくれる。誰もプリ
ズムストーンなんて持ってないけど、でもみんな、何とかしてあげたいって気持ちを持ってて…
…そんな気持ちがいっぱい集まれば、きっと元通りになるよ」
「うん……そうだよね…… ごめん、ほのか…なんかアタシらしくなかった」
 ほのかの眼差しと言葉に元気づけられ、心に力が湧いてくる。
 決して強くなんて無かった。一人だと、冷たく体を撫でていく風にさえ負けてしまいそうだった。
でも、二人で支えあっている今なら、絶対に負けない。
「うん、みんなで力を合わせれば、目の前にある絶望だって、きっと乗り越えられる。いつまで
も、こんな地震なんかに負けっぱなしじゃいられないよね」
 なぎさの目に灯った力強い光を見て、ホッとほのかの表情がほころんだ。手にしたコーヒーを
脇に置いて、するりとなぎさの腰に両腕を巻きつける。なぎさが何か言うよりも早く、柔らかな重
みが体にしなだれがかってきた。
「ちょ、ちょ、ちょっと、ほのかっ?」
「ごめんね、なぎさ……実は私、もうくたくたで…少しだけでいいから休ませてね」
 しゃべっている間に、二三度、頭をすりすりと動かして、寝やすいカタチに首を据える。
「ほのかぁ、こんなとこで寝ちゃうと風邪引くよ?」
 既に、泥のような疲労感に意識が沈みつつあるようで、返ってきた返事は、むにゃむにゃと
言葉になっていなかった。そんな無防備な姿態を晒す親友に、なぎさはこっそりと苦笑した。
(もおホント…可愛いったらありゃしない。それにほのかの体って、あったかくて気持ちいいな
〜)
 寄せられた頭髪から、馥郁とした匂いがなぎさの鼻をくすぐってくる。綺麗につやつやと流れ
る黒髪を見ていると、ほのかが何処かの国のお姫様のように思えてきて、ちょっとどぎまぎとし
てしまう。
(アタシのお姫様……ちゃんと守ってあげなくちゃね)
 少し頬を赤くしながら辺りを見渡して、近くに人がいないことを確かめながら、
(…いいかな〜?)
 ほのかの肩に手をまわし、起こさないようにそっと抱き寄せた。二人の体温が、より親密にな
って暖かく感じられる。
(大丈夫だよ、ほのか。アタシ、もう負けない。ここにいるみんなも負けない。そして、いつかき
っと……)
 視線を上に真っ直ぐ上げて、キッと睨みつける。

 曇った空なんか乗り越えて、元の澄んだ空を取り戻してみせるから……


(2004/10/31投稿)


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