ありがとう&あいしてる


 木枯らしをさえぎる窓ガラスの向こうから射し込んでいた太陽の光に、うっすらと赤い色が付
き始めた。
 教室に残って答辞の草稿を仕上げていた雪城ほのかが、窓の外に視線を向け、両目を微か
に細めた。卒業生代表として後輩たちに贈る言葉を考えているうちに、随分と時間が経ってし
まったようだ。
「う〜んっ」と細い両腕を天井に向けて精一杯伸ばしながら、椅子に座ったままでぐぐぐぅっと背
伸び。両腕の力を一気に抜いて背伸びを解くと、その反動で背に流れている黒髪が跳ねた。
 待っていてくれた美墨なぎさは、ほのかの邪魔にならないようにとじっとしているのに疲れて
眠ってしまったらしい。逆光の中で暗い影絵となりつつ、夕日から顔を背けて、机の上に突っ伏
していた。
 教室には、もうほのかとなぎさの二人だけしかいない。
 清書は家に帰ってからやるとして、日溜まりと化している窓際の席で眠るなぎさを起こしに向
かう。
 なぎさを起こそうとして、ふと、その肩に置きかけた手をとめた。両腕を枕にして眠るなぎさの
幸せそうな寝顔に、思わず「可愛いっ」とくすくす笑ってしまった。
 気持ちよさそうに寝てるから、もうちょっとだけ……。
 ほのかは帰宅を少しだけ遅らせることにした。
 なぎさの頭へと手を伸ばし、起こさないように気をつけて、ショートの髪をそっと指先でいらう。
さららさとした指触りを楽しみながら、なぎさと一緒に過ごした二年間を振り返る。
 二年生の時に親しくなって以来、ほのかの胸の奥に積み重なっていったなぎさの笑顔、笑
顔、笑顔。思い出の中の彼女の笑顔につられて、ほのかも笑顔になる。
 なぎさと一緒にいる時間が、ほのかの人生そのもの。
(……たまに喧嘩もしたよね)
 一瞬、髪をいらう指の動きがとまった。しかし、すぐにまた動き出す。
(でも、いつだって私たちはちゃんと仲直りできた。なぎさの隣に見つけた自分の居場所は無く
ならなかった)
 さっきとは別の理由で指の動きがとまる。そして、なぎさの寝顔を愛しげに見つめる。
(もうちょっと……教室にいてもいいよね)
 隣の席の机と椅子をそーっと神経を使いながら移動させ、なぎさの机にくっつける。静かに椅
子に腰掛けたほのかは、なぎさと同じように机の上に腕枕を敷いて、彼女の方に顔を向けたま
ま頭を乗せた。
 目を閉じると、すー、すー、と穏やかな寝息がよく聞き取れた。胸に満ちていく不思議な安ら
かさ。
 もう少しだけそばに……と思いつつ、肘同士が軽く触れ合う程度まで、なぎさとの体の距離を
詰めてみた。吸う空気も吐く空気も、ほとんど共有できるほどの小さな距離。瞑っていた目を開
くと、本当にすぐ間近になぎさの無防備な寝顔があった。
(……ッ!)
 ほのかの顔が急に熱くなった。心拍音が胸の中でボリュームを上げる。慌てて目をそらす
が、動悸が収まる気配は無い。むしろ、どんどん高鳴っていく。
(なぎさ……)
 胸が潰れそうなくらい苦しい。なのに、すごく心地良かったりもする。
 視線をもう一度なぎさの寝顔へと戻す。そして、微笑みと共に目を閉じた。
 なぎさとこうして二人っきり。誰よりも近くで彼女を独り占めしている、幸せな時間。
 ほのかの心が甘く溶けていく。甘い物好きななぎさだったら、今の自分の心を全部食べてくれ
るだろうか? 
 ちょっとドキドキしながら開いた両目は、軽く瞳が潤んでいた。それに合わせるように、頬もほ
んのりと赤い。
 やがて、「ふあぁ〜〜」と大きなあくびをしながら起きたなぎさに、ほのかはその顔を覗き込ん
で「おはよう、なぎさっ」と、心からの愛おしさを込めて笑顔を浮かべた。顔の位置がかなり近い
のはもちろんわざとだ。
「え…あ…、お、おはよう。……もう終わったの?」
 目論見通り、ほのかの潤んだ瞳になぎさがどぎまぎと狼狽えるのが映った。顔もちょっと赤く
なってたりして可愛い。その貴重な表情を忘れないよう、網膜にしっかりと焼き付けておく。
「あっ…、も、もうこんな時間じゃない」
 誤魔化すように窓の外に目を向け、なぎさが席を立とうとする気配を見せた。しかし、先に席
を立ったほのかが背後に回って、なぎさの両肩に手を置いてそれを制する。
「もう少しぐらい、いてもいいんじゃない?」
「……うん」
 今日はいつもと雰囲気が違うような気がするが、なぎさは素直に席に座りなおした。後ろにい
るほのかは、なぎさの両肩に手を置いたまま静かに立ち続けていた。
 ほのかが夕日の方を見てる気がして、なぎさもそちらへと目を向ける。
 大勢でワイワイ明るく盛り上がるのが大好きななぎさだが、こうやってほのかと二人っきりで
静かに過ごす時間も嫌いではない。……訂正。むしろ、心を許しあえる彼女と共に過ごす時間
は、とても気分が安らぐので大好きだ。
(まるでアタシたちって……)
(夫婦みたいね)
 自分が心の中で呟きを洩らしたのと同時に、ほのかも何かを呟いた気がして、なぎさは
「ん?」と首を後ろへ向けた。
 なぎさの両肩に置かれた手がゆっくりと動き始めた。二年間の労苦をねぎらうように、優しく
肩が揉まれる。
「おつかれさま、なぎさ」
 光の使者プリキュアに変身してドツクゾーン相手に戦い抜いた日々。苦しいことや辛いことも
たくさんあったが、いつも隣になぎさがいてくれたから……。どんな絶望も乗り越えて、最後に
は彼女がとびっきりの笑顔を見せてくれたから……。
 なぎさの全てがほのかを励まし、支えてくれていた。
 この二年間、二人はいつだって手を繋いで、心を繋いできた。それは戦いの時、普段の日常
生活関係なく、運命の赤い糸のように二人を結び付ける絆。
 なぎさが手を強く握ってくれるほどに、ほのかは心の中で、絆の結び目がどんどん固くなって
いくのを感じていた。心でしか感じることの出来ない、その幸せな感触を思い出しながら、ほの
かは感謝の言葉を送った。
「本当にありがとう、なぎさ」
 感謝されてる当人は、肩を揉まれるのが気持ちいいのか、それともくすぐったいのか、判断
つきづらい様相で身悶えていた。
「あん…んっ、やだ、ほのか、変な揉み方しないで……あっ、やだっ、そんなにされたらお嫁に
いけなくなるっ……」
「変な事言わないでっ」
 仕方なく、とんとんとん…と肩を叩く方向に転換した。
「あ……、これ、気持ちいい……」
 なぎさもご満悦な様子だが、そう長くも叩いていられなかった。肩叩き終了に対し、「えー
っ?」と不満げな声を上げるなぎさへ、ほのかは冷静に「なぎさはもう帰らなきゃいけない時間
でしょ」と告げる。
 ほのかの予想では、あと一分以内。
 見事、二十八秒後に、なぎさのお腹が『ぐぅぅぅ〜』と大きな音を立てた。
「あ…っ」
「ほらね」
 くすくす笑うほのかの前で、なぎさがバタッと机に突っ伏した。ゲームでいうと、HPが0になっ
た状態だ。弱々しげにほのかを振り返って、辞世の言葉を述べた。
「ほのか、生まれ変わっても、ずっと一緒だからね……」
 がくん、と首が落ちた。なぎさ死亡。ほのかは、こういった非常時のために用意しておいた飴
(少しはお腹の足しになりそう?)を取り出した。そして、空腹に倒れたなぎさを復活させようとし
て、直前にふっと浮かんだ素敵な思い付きを口にした。
「どうせ生まれ変わるんだったら、男の人になれるといいね」
 言外に秘めた想いを含ませたその一言に、なぎさの上半身が勢いよく起き上がった。驚い
て、ほのかが飴を床に落とす。
「ちょっと、それってどういう意味っ!?」
 振り返ったなぎさの険悪な視線に、ほのかがたじろいだ。
「そりゃ、アタシはどうせガサツで色気もないし、靴下だって臭いし、ほのかに比べたら全然女
の子っぽくないけど、だからってアタシの性別否定するようなこと言わなくたっていいじゃない
っ!」
「ち、違うの、なぎさ。そういう意味で言ったんじゃないの」
「だったら、どういう意味っ?」
「そ、それは……」
 ほのかが口ごもる。
「バカにされてるんだったら、アタシ帰るね」
「待って、なぎさっ」
 なぎさの肩にかけた手が、邪険に押しのけられようとした。いつも繋いできた手による拒絶
に、ほのかの心が悲痛に震えた。二人の絆が千切れてしまいそうな気がして、思わず叫んでし
まう。
「だって、なぎさが男の人になったら、私たちもっと近くにいられるじゃないっ!!」
 そして、二人の時間が止まった。
 お互いに一言もなく、ただ静寂。夕日に押されて机や床に張り付いた二人の影は、じっとした
まま動こうとしない。
 なぎさは相変わらず、ほのかに背を向けて夕日を受けていた。
 手を押しのけようとして、その途中で止まった不自然な姿勢。ほのかが自ら手をのけようとす
ると、手首が掴まれて引き止められた。
 また静寂が一拍の間を刻んだ。そして、
「ごめんっ、ほのか」
「ごめんなさいっ、なぎさ」
 謝ったのは二人同時。見事に二つの声が重なった。
 ほのかの手がそっとなぎさの胸へと引かれた。なぎさの指が手首の上を滑り、ほのかの脈拍
を探り当てる。
「あのね……、ほのかの手首から、とくん、とくん、って伝わってくる気持ち……」
 胸のふくらみの間に、ほのかの手を押し付ける。
「ほら、アタシの心臓まで届いてるよ……」
 なぎさの鼓動。ほのかが強く手を押し当てて、それをしっかりと確かめる。
「うん…、ちゃんとなぎさに伝わってる」
 脈拍と鼓動。言葉以上に、生命の響きで会話し合える二人。
 なぎさが目を閉じて、ほのかの脈拍音に集中する。
 ほのかが目を閉じて、なぎさの鼓動音に集中する。
 伝わってきて、伝わっていく。二人の気持ちは一つに繋がって循環を続ける。
「……そうだったよね。私たち、女の子同士だけど……でも恋人同士以上に近くにいるよね」
「うん。女の子同士だとか、そういうの関係ないよ。ほのかはいつだってアタシにとって一番大
切な人なんだもん」
「私も。なぎさのこと、一番好きよ」
 ほのかがもう片方の手も回して、後ろから静かに抱きついてきた。なぎさの肩に顔をうずめる
ように、やわらかな体を彼女の背中に預ける。
 二人の心拍数が、ほんの少しだけ上昇した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 校門を抜けて、しばらく歩いてからなぎさが振り返った。
「どうしたの、忘れ物?」
「ううん、何だかこのまま帰っちゃうのって勿体ないなぁ…って思って」
 もうすぐ卒業しなければならない学校を名残惜しそうに見つめた。 
 ほのかと出会って、大切な思い出を胸に収まりきれないほどたくさん作った場所。
 ほのかの方を見て、視線を落とす。指の谷間を互いの指で埋め合いながら、一つに組み合
わさった二人の手。
「ねえ、ほのか、アタシたち二人だけで落第しちゃわない? そしたら、またあの楽しかった毎
日を繰り返せるじゃん」
 ほのかは「無理よ」と笑って返したが、それも悪くないと感じた。
 あの場所で過ごしたかけがえのない大切な日々を、もう一度なぎさと一緒になぞってみたい。
 でも……。
「進みましょ、なぎさ」
 そうすれば、もっと多くの思い出を作れる。
 二人が同時に笑顔を咲かせた。
 せめて、二人の想いをあの場所に残していこうと、ほのかが提案。なぎさが頷いて、カバンか
らノートを取り出し、白紙のページを丁寧に切り取る。
 そして、今、胸にある想いを一言ずつ……。
「ほのかと出会えて、最高に楽しかったこの二年間に……」
 なぎさが『ありがとう』と文字を綴った。
 続いて、ほのかが、
「なぎさと出会えて、最高に幸せだったこの二年間を……」
 綺麗な字で『あいしてる』と綴り、二つの言葉を『&』で繋いでなぎさに手渡す。
 なぎさがそれを紙飛行機の形に折った。
「ほのか」
「うんっ」
 紙飛行機をかまえたなぎさの腕に、ほのかが手を添える。
「それっ」
 学校へと向けて飛ばす。うまいこと風に乗った紙飛行機が高度を上げる。『ありがとう&あい
してる』という二人の気持ちを乗せて、空高く舞いながら学校を目指した。
 なぎさが、そっとほのかの手を握る。ほのかがぎゅっとその手を握り返した。
「また、誰かが……」
 紙飛行機の行方を見守っていた二人が視線を合わせた。
「アタシたち二人の気持ちを継いで、あの場所でいっぱい素敵な思い出を作ってくれるよね」
「そうね、きっと私たちのように……」
 紙飛行機が学校へと無事フライト完了したのを見届けてから、二人は仲睦まじく身を寄せ合
う姿で帰路についた。 


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