for little princess06


 莉奈が困ったような笑いを浮かべた。
「何そんな顔してんのよ…」 
 包装された箱を軽く手ではたいて、元通りなぎさの机の中へ入れておく。
「気にしてないって。だって、志穂はなぎさよりも私を選んでくれたんでしょ?」
「うん。今はなぎさじゃなくて……本当に莉奈のことが好き」
 心を決めた乙女の強い眼差しが、莉奈の目を真っ直ぐ見つめる。そのあまりに純粋な真っ直
ぐさに、莉奈がいたたまれない気分になり、目線を伏せた。
「あのね、志穂…」
 志穂への強い気持ち。口に出そうとしたら一緒に涙まで溢れてきそうになったので、今はまだ
仕舞っておこうと言葉を切った。……続きは胸のうちで呟く。

 ずっと前、夢の中でね、私ね、いきなり猫になってたの。家からはいきなり追い出されるし、仕
方ないから学校にきても、私ったらニャーニャーとしか言えなくて。なぎさなんてさ、私の尻尾踏
んづけても知らんぷりでね。
 でも、志穂だけは気付いてくれた。猫になった私と目が合った瞬間、『どうしたの莉奈ッ、その
姿!?』ってすっ飛んできて、私を抱き締めてくれた。誰も私だってことに気が付かない世界
で、たった一人、志穂だけは私に気付いてくれたの。
 嬉しかった。すっごく嬉しかった。そこで目を覚まして、私泣いたの。本当に嬉しくって、涙が
止まらなかった。
 志穂は、私にとって友達以上の存在。志穂はいつも私のそばにいてくれる。二人が離れるこ
となんて想像もしたこと無かった。
 だからね、志穂のなぎさへの気持ちを知った時、すごく怖かった。志穂をなぎさにとられちゃ
いそうで。
 ずっと私だけの志穂でいてほしかった。なのに、志穂がなぎさのことを好きだなんて許せなか
った。裏切られたみたいで、すっごく悔しかった。
 志穂の心をなぎさから引き離したくて……、志穂のファーストキス、無理矢理奪ってやった。
どんなことをしてでも、志穂を自分だけのものにしたかった。私は…………私は…………。

 心の中で言葉を重ねるほど、莉奈の心が重く沈んでいく。自分の『好きだ』という気持ちは、
ずる賢くて汚れてしまっている。なのに、「ん?」と可愛らしく首を傾げて言葉の続きを待ってい
るお姫様は、今、こんなにも無邪気な笑顔で。
「……ゴメン、志穂」
「ううん、いいの…」
 不意に莉奈の口からこぼれた言葉に、志穂は笑顔のまま静かに首を横に振った。そして、泣
き出しそうなほど弱々しく揺れる莉奈の眼差しに向けて、そっと頷いた。
「うん…。いいの…」
 何も聞かずに、莉奈の全てを受け入れてしまう。
 莉奈が肩の力を抜いて、ふぅっ…と溜息をついた。
(ま、いっか。結果オーライだし)
 暗くなりかけていた莉奈の表情に、ほろり…と笑顔がこぼれた。
「志穂、本当になぎさじゃなくていいのね? 本当に私でいいのね?」
「うんっ! 莉奈っ、これからは、ずーっと一緒だよ」
 志穂が心の底から嬉しそうに抱きついてきた。なんだか子犬にじゃれ付かれているみたい
で、ちょっとくすぐったい。
「莉奈はすぐイジワルなことするけどね、でも、私のことあんなにいっぱい愛してくれる人なんだ
もん。私ね、もっともっともっと莉奈に愛してもらいたいのっ!」
 そうじゃないと莉奈は思った。愛してもらっているのは、むしろ自分の方。あんまりにも愛され
すぎて、逆にストレスが溜まってしまいそうだ。
 胸の奥から衝動が突き上げてくる。たまらなくなって、気がつくと莉奈は、お姫様の体をひしっ
と強く抱き締めていた。
「…キス」
「えっ?」
「だから、キスよ。……したくないのっ?」
「するするするっ!」
 照れ隠しなのか、ぶっきらぼうな調子の莉奈に、志穂が喜んで応じた。爪先立ちになって唇
を差し出す。莉奈のキスがその唇を優しくさらった。
 唇と汗ばんだ裸身を重ね合わせ、たっぷりと時間をかけて、情事の余韻を愉しんだ。お互い
に言葉は無く、時折響くのは、押し殺した息遣いと、二人が唇を強く吸い合う音のみ。
 時間の感覚が麻痺しそうになった頃、ようやく相思相愛のキスが解かれた。
「……志穂、今日はここまでにしとく?」
「うん…。今日はもう随分遅くなっちゃったし……」
 志穂が夕闇に沈んだ窓の外へと視線を向け、名残惜しげに呟いた。
「じゃあ、服着よっか」
「うん…」
 下着に手をかけた志穂に、自分のスカートのポケットからハンカチを取り出した莉奈が、すっ
…と影のように寄り添う。そして、ごく自然な動作で志穂の濡れた股間を拭った。
「莉奈…、汚れちゃうよ、そのハンカチ」
「いいよ、志穂のなら汚くないし…」
 志穂の股の間に差し込まれた手は、なかなか抜かれない。ぐっしょりと湿ったハンカチで、い
つまでも秘所を拭き続けていた。ハンカチ越しに敏感な部分へと伝わってくる莉奈の指使い。
淫唇の縦筋に沿って押し付けられてくる指は、再び志穂の内側を求めようとしていた。
(ダメ……帰れなくなっちゃう……)
 志穂がその手を掴んで、それ以上の動きを拒んだ。
「莉奈、ごめん。それ以上されたら、私、また……」
「…分かってる。ごめんね、私のほうから今日はもう終わりにしようって言い出したくせに……」
 二人は急に無言になって、お互いに背を向けて着替え始めた。何となく不自然な沈黙。一言
の会話も無く、服を着る際の衣擦れの音だけが静かに響く。
 やがて、着替え終えた莉奈が、帰り支度を整えた志穂にチラッと視線を向けた。
「行こっか…」
 志穂にそれだけを告げて、自分のカバンを手に先に立つ。
 志穂が自分の後ろに続くのを時折確かめつつ、校門を抜け、人気の無くなった下校路を行
く。二人とも妙に黙り込んだままだったが、しばらくして、志穂がおずおずと口を開いた。
「……莉奈」
 とても小さな、すがりついてくるような声。莉奈がぴたりと足を止める。体ごと振り返った莉奈
の前で、志穂が顔を真っ赤にして恥らう素振りをみせた。
「ううん、なんでもない」
 つきたくない嘘を口が勝手にしゃべってしまう。しかし、未練がましい気持ちを見せて、莉奈に
軽蔑されてしまうのが怖い。
 それっきり押し黙ってしまった志穂に、莉奈が優しい視線を送った。
「私も……今の志穂と同じ気持ち」
 うつむき加減の志穂がハッと目線を上げると、莉奈も同じぐらい顔を真っ赤にしていた。
「志穂と一緒に…満足したはずなのに……、私、また志穂の体が欲しくなってる」
 教室を出る前からずっと、志穂の裸身が目に焼きついて離れなかった。
 手に残る志穂のやわらかな肌の感触、鼻の奥に染み付いた志穂の汗ばんだ髪の匂い、鼓
膜の上で残響する志穂の切ない喘ぎ声。志穂の何もかもが気持ちよくて、秘所の奥がまた熱
っぽく疼いてきている。
 このまま感情に身を委ねて暴走してしまいたいのを、ギリギリのところでガマンしていた。
「もう帰らなきゃいけないって、分かってるのに…」
 莉奈がポツンと洩らしたその言葉に沈黙が続いた。
 仰いだ空はもうすっかり暗い。
 夜空を見上げて立ちすくむ莉奈の隣に、志穂が並んだ。そっと莉奈の腕をとり、自分の腕を
絡める。
「そうだよね。これ以上遅くなったら、お父さんやお母さんが心配しちゃうもんね」
 莉奈の視線を追い、志穂も夜空を見上げた。
 プラネタリウムと違って、街の光でくすんでしまい、目で見える星の数も多くはない。それでも
莉奈と一緒だからという理由だけで、何だか特別な時間を過ごしているような気がして、星の
光ひとつひとつが心に沁みてくる。
「あ、そうだっ! ねえ志穂志穂志穂っ!」
 何を思いついたのか、志穂の口ぐせが移ったみたいに莉奈が早口でまくし立ててきた。
「あのねっ、私たちってさ、一応とはいえ結婚したじゃない。だ・か・らぁ……」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 風呂上りでさっぱりとしたところに、ちょうど莉奈から電話が掛かってきた。濡れた髪をバスタ
オルで拭きながら、母親から受話器を受け取る。
 母親の姿が見えなくなったのを確認してから、声をひそめてしゃべった。
「あ、莉奈莉奈莉奈、電話代わったよ…」
 開口一番、莉奈が受話器の向こうから『志穂…愛してる』とささやいてきた。志穂も甘ったる
い小声で「愛してるっ」と返した。
「ところで莉奈ぁ、私の名前にあれ付けるの忘れてない? ほら、あれよ、あーれ」
 受話器越しに、莉奈が苦笑している。そして、あらためて呼び直された自分の名前に、志穂
が受話器を耳に当てたまま、いかにもくすぐったそうに全身をクネクネと悶えさせて喜んだ。
「そうそうそうっ、し・ほ・ひ・めっ。二人っきりの時は、私のことは志穂姫ねっ」
 やはり敬称付きは恥ずかしいが、莉奈に言ってもらえると、鼓膜がとろーんと溶けそうなほど
甘ったるくて気持ちがいい。
(莉奈だけのお姫様…か)
 受話器から流れてくる莉奈の声が心地良い。家族の耳をはばかるように、二人だけのひそ
ひそ話しを続ける。
「…へぇ〜、莉奈もそーなんだ。私もまだ体がフワフワしてるカンジ〜…っていうかぁ、我慢でき
なくてねぇ、私ったらお風呂で二回もしちゃったの」
 莉奈は『えーっ、二回もしたのっ?』と呆れた声。受話器を握っている莉奈の表情が見えた気
がして、志穂がクスクスと笑う。
 受話器から『志穂姫』とか『愛してる』とか聞こえてくるたびに、志穂はデレデレと体をくねらせ
る。また、長電話になるのを気にして、莉奈が切ろうとするのを志穂が可愛らしく「やだやだや
だっ、もっと莉奈の声聞きたーい」と甘えて引き止める。しまいには、志穂が電話越しにキス攻
撃を仕掛け始めた。受話器に愛のこもった口付けを何度も繰り返し、「チュッ…チュッ…」という
音を直接莉奈の鼓膜に送り込む。耳の中をくすぐるようなキスの音に『あんっ…こら、志穂姫…
ダメっ』と悶えていた莉奈も反撃を開始。かくして電話を終えた頃には、両家の受話器は唾液
まみれになっていた。

「はぁ〜、何じゃこりゃ」
 自分で唾液まみれにした受話器を眺めて、志穂が呟く。バスタオルでおざなりに拭いた後、
自分の部屋へと戻った。
「…っていうか、けっきょく何の電話だったのかな。ま、いっか」
 何をするよりもまず、身を投げ出すように勢いで、ベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。今日一
日分の嬉しさが、笑い声と共に口から溢れてきた。
「あは、あはははははっ! 私、莉奈と結婚したんだーっ!」
 もしかしたら両親に聞こえてしまったかもしれないと心配がよぎるが、些細な問題に思えた。
いつかはちゃんと莉奈の事を紹介したい。
 スッ…と部屋の照明に左手をかざして、ゆっくりと記憶をなぞる。
 
 莉奈が志穂の左手を取って、星空へとかざした。
「志穂、どれがいい?」
「うーん…」
 じっと目を細めて、一番無垢な輝きを選りすぐろうとするが、どうにも判断がつかない。迷い
迷った挙句に、自分で選ぶのを放棄した。
「あぁん、ダメぇ。莉奈っ…お願い!」
「う〜ん、……じゃあ、あれなんかどうかな?」
 志穂の目線に合わせようと、頬がくっつかんばかりに顔を寄せてくる。そして、志穂の手を少
しずつ動かして位置を調整する。
 何十光年もの距離を渡ってきた光の粒が、慎ましげに志穂の薬指の背に載った。二人の愛
の証明となる、とっても小さな輝き。
「どう? 私からの婚約指輪…って言っても、リングはついてないんだけどね。……気に入って
くれた?」
「うんうんうんっ! もうすっごくサイコーッ!」

 思い出すとニヤニヤと顔が崩れていくのが止まらない。星の光はもう載ってないが、それでも
あの時感じた人生最高の嬉びは忘れようが無い。
 バッと、倒れ込んだ時の勢いを反転させたようにベッドから身を起こし、自分の髪に触れてみ
る。
(志穂姫か……)
 短い髪に手櫛を通して思う。
(中学卒業したら、髪伸ばしてみようかな……)
 お姫様には、やっぱりサラサラのロングが相応しいような気がする。姫と呼んでくれる莉奈の
ためにも、もっとお姫様らしくなりたい。
 さっそく鏡を見ながら検討に入る。楽しみつつも、非常に真剣そのもの。やがて、鏡の中に髪
を伸ばした自分のイメージが浮かび上がってくる。
(どうかな? 似合うかな?)
 心の中で莉奈に尋ねたら、「いいんじゃない」とにっこりと笑って返してきた。
「ようし決めた! がんばって髪伸ばそうねっ、志穂っ!」
 鏡の中の自分に向かって、満面の笑みでエールを送った。
 志穂は気付いてなかったが、この時の幸せそうな笑顔は、誰よりもお姫様らしいものだった。


(END)